写真
色に持ってかれるみたいな話があって確かにそうなんだよな土田先生がいっていた写ってなさというのもわかる。誠実に写真に向き合おうとして色の写真がでてきたけど、その写真は写真てものを侮辱するようなものなんかもしらん。うーん。写真てなんなんだろほ…
「いかにも私が居なくても世界はあるだろう。だが私が居ない限り、世界があろうとなかろうと知ったことではない。」
ストレートフォト。素直に。
穏やかに 流れる 染み込む 滲む 水色 美しい それはきれいだ
撮る撮られるの関係。 画面中の記号としての自分。
ふれたい。触りたい。その距離に私をおいてほしい。
シミはシミであって、100人がそれを踊る熊だと言っても、それがシミであることには変わりない。シミが何に見えるかということを考える、その逆の行為をしてみてはどうだろう。
距離感を意識しないこと ド適正の色で10枚焼く 一枚一枚どうして撮ったのかを考える。 そこから言葉を見つける。具体的な。 家族の写真だけが異質であること
コピー能力の高さで成り立ってるとかそういうのからの脱却。劣悪なコピーは度を越えるとすごいのかもしれんけど。オリジナルってやっぱすげえなと思う。どっかで見たことあるって思われるのはやっぱ嫌。