もやもやもや。しかし実家にいる私は最強なので、そんなもやもやでくよくよしない。

寂しいのか何なのかわからんけど母親にずっとベッタリだった。朝は一緒にご飯食べて掃除して、一緒にテレビ見て、ドライブ行って途中の気になる寺や古墳なんかに立ち寄ってぐるりとまわって。お母さん好奇心強くて、これ何やろ?とか、こっちから行ってみる!とか逆行ったり、一緒にいて飽きないです。んで今日楽しかったーって言ったら「一緒にまわった人がよかったんやで」とか言うからそうかもなーってこういう時は肯定する。
今、お母さんに「それどゆこと!」ってフリをして「しょうゆこと!(村上ショージ)」って言わせるのが流行ってる。けどすぐ忘れるから「どゆこと!」って言うと普通に説明しだす。それもまた何か面白いからいいんだけど。7月はお母さんと京都の原生林に行くので楽しみ。婚活!言ってて、原生林に人はいねえよと思った。

ベタベタしすぎな自分に若干の嫌悪感。惰性で明日朝帰ることにもなったし。よくにゃいけど私は救われてるからいいのかなー

とにかく人に会って何も考えない状況にする作戦。楽だ。

ここ何ヶ月かの、実家や母親に対する私の態度が何であったのか、今不意にハッキリした。私は甘えているんだ!甘えるという言葉が、的確にあてはまる。まさかこの歳になりそうなるとは…受動的な「子ども」としての甘えではなくて、「子ども」の立場を利用しての能動的な甘え。掃除にしても、ありがとう助かったわってほめてほしいからするわけであって、何も母に感謝してやっているわけではない、ということに気付く。もちろん感謝はしているけど、それを自覚したうえで、行動の動機は、ほめて欲しいという欲求に違いないと思う。打ち消したいが紛れもない事実。誰にも甘えられないやと思っていたけど無自覚にこんなことをしてる自分が恥ずかしい。